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インデックス[さくいん] No.95
かんてんこうじょう
江戸時代後期に造られた寒天を製造する工場で、現在の都城市山之口町・高城町にありました。薩摩藩の調所広郷(ずしょ・ひろさと)による財政改革の一環として計画され、指宿の豪商・浜崎太平次(はまさき・たへいじ)に諮って造られたといいます。原料となる天草は甑島などから運ばれ、工場で寒天を製造し、中国(清)やロシアなどに密輸されました。薩摩藩の中で、都城の地が選ばれた理由は、冬の朝晩と昼間の寒暖差が激しいという自然条件が寒天製造に適していたことと、街道沿いに面して番所が多く設置されているため役人が管理しやすかったことが考えられます。
件名 | 薩摩藩、島津氏 |
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登録日 | 2018/04/23 |
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最終更新日時 | 2020/10/06 |